第7話「ニッポンノヨアケ」

【共同幻想と集団の形成】
第7話に登場する、純血の”日本人”しか受け入れない団体について。

前回記事で、この「日本沈没2020」という作品が国土の物理的沈没を描くというよりはそれに伴う人々の自我の危機をあぶり出している、ということに触れ、人間が心の拠り所としているもの、自我の在りかをその人にとっての”浮き輪”と表現しました。

この表現を用いれば、第7話に登場した日本国の純血主義者たちは、血統による”日本国”という共同幻想(宗教)で成り立つ集団であり、彼らにとっての”浮き輪”は日本国という宗教そのものです。


「共同幻想のもとに形成される集団」
という意味では、前回登場したシャンシティの宗教団体と同じ構造ですが、この二者には決定的な違いがあります。それは受容と排除です。


【受容と排除】
シャンシティの宗教団体が何人(なんびと)をも受け入れるのに対し、日本国団体は日本の”純血”以外を徹底的に排除することで(集団としての)自我を担保しています。
※どちらが良い悪いという善悪の問題ではなく、あくまで集団形成の手法の問題です。

皮肉なのは、このように似て非なる集団が同じ「日本国土」上に存在していたという点です。私たちが「日本人」と言うとき、それはいったい誰のことを指しているのか?日本国土上の人間か?日本国籍を持つ人間か?血統か?言語か?
前回と同じ結論になりますが、日本沈没とは、国土の物理的喪失によって私たちに日本国家という共同幻想(アイデンティティ)の危機を問いかけています。