第2話「トウキョーサヨウナラ」
避難していた神社に増水による危機が迫っていると知り、武藤家は近所に住む七海や春生とともに、東京からの脱出を試みる。
出典:Netflix「日本沈没2020」配信ページ
§希望はどこから生まれるのか?

第2話で印象的だったのは、航一郎を中心とした武藤家の人々が、この非常時でも状況を悲観することなく常に”前向き”で”希望”を持っているように感じたことです。そしてそれは、彼らだけが特別な楽観主義者というのではなく、人間誰しもが持っている素養のように思われました。
だとすれば、非常時における人間の”希望”とはどこからくるものなのか?私自身の被災経験を元に考察してみました。


§希望を持ち続けられる理由4つ

その1:事態の全容が把握できない
いま何が起きているのか、それによって今後何が起きるのか、人間が自分の置かれている状況を把握できないことは当然ながら「不安」を招きます。しかし、世界の変容があまりにも大きく、これまでに経験したことのない状況だった場合、むしろ事態の全容が分からないことで希望を持つ「余地」が生まれます。「知らない方がいいこともある」という状況です。

その2:火事場の馬鹿力
語彙の通り、人間は切迫した状況に置かれると、平時には発揮されない力を出すことができます。腰が抜けるほどの体験をしているはずなのに、不思議と体じゅうに力が漲る。生存本能に近い部分です。

その3:他者の存在
これは私自身の経験ですが、「自分以外に生きている人間がいる」ことでなぜか「自分も生きられる」ように感じるものです。人間は、他者と自分を比較することでしか自分という存在を認識できないように、裏を返すと、他者がいる限り自分も存在できるのでしょう。

その4:社会的意味の崩壊
非常事態になると、社会的な身分や経済格差や階級といった「社会的意味」が一瞬で無に帰す場合があります。俗っぽく言うと、資産数億円の富裕層も日雇いのアルバイトも「生きるか死ぬか」の状況下では同じ1つの命でしかない、といった具合です。
すると、それまで社会的に”弱者”とされていて、なおかつそれを(無意識的に)卑下していたようなメンタリティが、急に解放され、かえって”生き生きと”しだすことがあります。(良い悪いの問題ではなく、実際にそういったことが起きるという意味です。)これを”希望”と捉えることもできます。


以上の4つが私の思う”希望”です。この内容からもわかるように、”希望”とは「頑張って顔を上げて前を向いて持ち続ける」ような意志力の産物ではなく、本来人間が生物として備えている性質(生存本能)だと考えています。
そのため、希望を持ち続けることを”美談”として語るのには抵抗があり、この作品がただの美談で終わらなければいいなと思っています。