第12話『蒼空
〜いつかあの飛行機のように〜

最終話の考察
①加世が”告発者X”となった理由
②「飛行機」の詩が示すもの
③教会の光

【加世が”告発者X”となった理由】
加世は幼い頃母親に「あんな子産まなければよかった」と言われ先立たれたことで、生きる意味を失っていました。それゆえに、きっと誰よりも生きる意味を欲し、また生きる意味について考え続けてきたのでしょう。
いつしか加世は教会の告解室を通して死を望む人たちの思いを聞き、告発者Xとしてその命に意味を与えるようになっていました。

自分の生きる意味は分からずとも、他の誰かの命に意味を与えることで、自分の命にも意味があるように思えたのかもしれません。


【「飛行機」の詩が示すもの】
ラストシーン、啄木は「飛行機」という詩を詠みます。

「飛行機」 石川啄木


見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたつた二人の家にゐて、
ひとりせつせとリイダアの独学をする眼の疲れ……

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。


暮らし向きの楽ではない少年が、それでも希望を胸に独学に励む様子が詠まれています。

この詩において重要なのは「飛行機(=空)に対する強い憧れ」です。
当時、飛行機はまだまだ庶民が乗れるものではなく、人間が空を飛ぶことなど夢のまた夢とされる時代でした。だからこそ、空(=飛行機)はどんなに手を伸ばしても届かない(オープニングや本編中に「空へ手を伸ばす描写」)未知の領域であり、それは人間にとって、どんなに知ろうとしても知ることのできない未来、すなわち「明日」という時間とよく似ていたのです。

《空=明日(手の届かない未知の存在)》

これを踏まえて「飛行機」の詩を読むと、
”あの高い空を飛行機が飛べるように、
いまは生活の苦しい少年でも、いつの日かその努力が報われる日が来るだろう”という希望の詩になり、これは第12話で啄木が繰り返し口にする「それでも新しい明日は必ず来ると、僕は信じています」という言葉そのままの意味になります。

つまり、
「それでも新しい明日は必ず来ると、僕は信じています」という啄木の言葉は「飛行機」の詩の意味をわかりやすく言い換えたものだと言えます。


【教会の光】
教会にて、啄木と加世をステンドグラスの光が包み込むシーンが印象的でした。
もともとステンドグラスはキリスト教の教え、とくに人間も自然も超越した「唯一の神」という存在を民衆に感覚的に伝えるための装飾でした。
そして聖書の中には「神は光である」という記載があり、民衆はステンドグラスの光に神が宿るものとして崇めるそうです。
だとすれば、
啄木と加世を包み込んだ光の描写は、ともに命の意味を追い求めたふたりの命の煌きと、神の祝福を表しているように思えます。


〜総評〜
文学作品と史実を織り交ぜつつ、言葉に頼りきらずに、アニメーションならではの映像表現を使って視聴者に深い共感を与える、本当に素晴らしい作品でした。
全12話だったとは思えない、もう1年以上見続けてきたような深い没入感があり、それでいて最後も尻切れとんぼになることなく、綺麗にまとまっていました。
全てを説明し切るのではなく、あくまで視聴者に思考と感情の増幅する余白を残してくれていて、その塩梅がちょうどよかった。
とにかく素晴らしい、個人的にも大好きな作品になりました。本当にありがとうございました。