第10話『幾山河
〜生きる意味を求める啄木〜

京助に嘘をついて借金し、花街通いを続ける啄木。
自暴自棄になったかのような啄木の行動ですが、そこには通底して「残された命を誰かのために役立てたい」という思いがありました。
環との出会いから”生きる意味”を考え続けた啄木。その行動と心理を考察していきます。

①社会のために
②好きだった人のために
③京助のために
◉最後に…

【①社会のために】
社会の役に立つことで生きる意味を感じていた環に影響され、啄木は「小説を書くこと」で社会を変えようとしました。夜な夜な花街に通っていたのも、他でもない小説のためでした。
病状が悪化している啄木にとって、夜に出歩くこと・酒を飲むこと自体、自分の命を削る行為です。さらに京助に嘘をついてまで借金をしたり、友人の吉井らに愛想を尽かされることも顧みない啄木の行動からは、たとえ命を削ってでも、友人を失ってでも社会の役に立とうとした、強い思いが感じ取れます。

しかし、書き上げた小説は夏目漱石に評価してもらえません。啄木の決意とは裏腹に、小説で社会を変えることなど出来ないというのが現実でした。


【②好きだった人のために】
環の仇を打とうと、何度も教会を訪れ園部を殺す機会を伺っていた啄木。しかし、ようやく訪れた絶好の機会に啄木は逃げ出してしまいます。
自分の余命を、好きだった人のために使うことも出来ませんでした。


【③京助のために】
京助から金を取り上げたあと、啄木は京助が甲斐甲斐しく世話をする「三色スミレ」の鉢を投げ落とします。
この三色スミレは第7話で啄木が京助に手渡したものです。第7話の考察で触れましたが、三色スミレの花言葉は「私のことを思ってください」。つまり、啄木がそれを投げ落とすという行為は「もう私のことなど構わないでください」→「私を見捨ててください」という意味になります。
①に通じることですが、信頼してくれる友人を裏切るような自分のことなど見捨ててほしい、ひいては死後に自分を偲んでくれるな、というメッセージを京助に残すことだけが、啄木が京助にできる唯一の恩返しだと考えたのでしょう。


最後に…
残された命を
①社会のために使うこともできず
②好きだった人のために使うこともできず
③京助のためにもならない
と悟った啄木は、生きる意味を見失い、自殺しようとします。そして、その自殺を止めたのは京助でした。
京助は「(啄木といることが)僕にとっての当たり前」だと言い、啄木はただそこにいるだけで生きる意味があるのだというのです。
”生きる意味”を問い続け、残りわずかの余命を自分のためではなく誰かのために役立てようとして挫折した啄木は、最後に、京助から”生きる意味”を与えられたのでした。


〜補足〜
啄木が汽車で盛岡へ向かう途中、同じ三等車に乗る「若者におにぎりをあげるシーン」があります。これが今回の啄木に通底する思いを象徴したシーンで「おにぎりという命の糧を未来ある若者に与える」という行為は、残された命を自分のためではなく社会のために使いたいという啄木の思いを見事に描ききっています。

死がせまり
痛々しい啄木の儚い命を、舞い散る桜の花びらが優しく演出していました。
次週はいよいよ最後の事件でしょうか。終わるのが本当にもったいない、素晴らしい作品です。