第9話『仕遂げしこと
〜死に意味を与えられるなら〜

今回は
「環が死をもって仕遂げたこと」
「”握る”描写」
「特別エンディング」
についてそれぞれ考察していきます。

※「環という人間について」は前回記事も参照下さい。


【環が死をもって仕遂げたこと】
環にとって、貧しい人々に施しをしたり人の(社会の)役に立つことは、生きる意味であると同時に死ぬ意味でもありました。
死を怖れるのは、それが無意味だからです。もしその死に意味を与えられるなら、その死によってたくさんの人々の不幸を取り除けるなら、もはやあたなは死を怖れることはないでしょう
鑑に対するこの言葉は、環が彼女自身へ向けたものでもあります。そしてその信念を貫き通し、彼女は死を迎えたのです。

環の目的はあくまで園部の罪を罰し、園部の犯罪による被害者を救済することでした。そのために鑑や鑑の弟という”告発者”を用意し、園部の罪を明るみにしようとした。つまり、ただ園部を殺すだけでは意味がなかったのです。
だとすると、園部を殺しそびれた環が急に刃物で襲いかかったのはそもそも園部を殺すためではなく、本当の理由は「自分を殺させるため」だったのではないでしょうか?あらゆる手を尽くしても園部に罪を償わせることができなかった環は、その人生の最後に、自らの死をもって園部を殺人者(罪人)とすることに成功した。(しかも警察の目の前で。)
こうして環は彼女の生きる意味と死ぬ意味を全うしたのです。

こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて ーーー

環が残したこの歌は、石川啄木の「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」という歌を元にしています。
環は最後に、園部を罪人として罰するという仕事を”仕遂げて”死んでいったのですね。。


【”握る”描写】
石川啄木の「一握の砂」にかけているのでしょうか。今回印象的だった、啄木が”握る”描写について考察します。
①おにぎりを握る
②環の手を握る

①おにぎりを握る
教会でおにぎりを握るシーン。黙々と握る環に対し、「あついあつい」という啄木が印象的でした。
ここで描かれるおにぎりは、おにぎり(米) =命の糧=生命の象徴であり、その温度に直に触れた啄木の「あついあつい」という反応は、(病により死の影が迫っている啄木が)生きている実感を得ているという描写でしょう。
逆説的ですが「生」を印象的に描くことで「死」がより意識される、光と影のような関係です。

②環の手を握る
・屋根裏からボタンを見つけたあと、無言で。
・環に再び脅迫状が届き「守りたいんです」と言ったとき。
それぞれ、啄木は環の手を握ります。
これはもちろん男女の情感を描いてもいますが、単にそれだけではなく、死を意識し始めた啄木が、環の手(=命)に自分の手(=命)を重ねることで、生きる意味や死ぬ意味について彼女に救いを求め、同時に彼女を救おう(守ろう)としている描写です。


【特別エンディング】
環の死を悼むように、今回は特別なエンディングになっていました。
啄木以外の登場人物のカットにはいずれも啄木が映り込んでいないことから、啄木目線で描かれた「啄木の思い出」なのでしょう。啄木が実際に目にした記憶なのでカラーになっています。
一方、啄木と京助の2ショットのカットは白黒であり、これは写真(当時カラー写真はなかった)を見ているためだと思われます。


今回も深く考察しがいのある内容でした。
おえんが去り、自分には死の影が迫り、救いを求めた環にも先立たれた啄木。
果たして啄木は「生まれてきた意味」を見つけられるのでしょうか。
物語はいよいよ終盤です。。