第8話『若きおとこ
〜男装の麗人の覚悟と死の影〜

今回は「環という人間」と「事件の真相」についてそれぞれ考察していきます。
血を吐いて倒れた啄木のもとに、女中の加世が依頼人の環を連れてくる。一度は断った啄木だったが、環の死生観や中性的な魅力に惹かれて依頼を受けることに。
環は「蝙蝠男」として活躍した軽業師・鑑と深い関係だったが、鑑が事故死したことがきっかけとなり、彼の弟に脅迫されているというのだ。
一方、京助は死を匂わせる短歌を書いた啄木が心配でたまらなかったが、胡堂たちは啄木の冗談としか受け取らず、心配する素振りも見せない。
出典:TVアニメ「啄木鳥探偵處」公式サイト
【環という人間】
環について考察する上で、彼女が”男装の麗人”である点は言うまでもなく重要なポイントです。
まず、史実上最も有名な男装の麗人といえば「川島芳子」でしょう。川島芳子は大正〜昭和にかけ、ある時は中国清朝の王女であり、ある時は軍服を着た司令官であり、ある時は女スパイであった激動の女性です。
彼女が男装をするようになった理由には諸説ありますが、失恋がきっかけではないかとも言われています。芳子は突然自ら坊主頭となり、それ以降自分を「僕」と呼ぶようになったそうです。男装で生きる決意をした理由を、芳子は後に「父が言っていたことを実現させたい。そのためには、女であるよりも、男であった方がよい私が女で、振り袖でも着ていたら、一人の兵だって集めることは出来ない。」と語っています。

このように、大正〜昭和まして明治時代に女性が男装して生きるとは並々ならぬ覚悟のいることであり、言い換えれば、男装の麗人にはそうまでして成し遂げたい何らかの信念があることを意味します。
それは環にも言えること。胸から腹部にかけての刀傷(?)が彼女のただならぬ過去を示唆するように、環には何らかの信念があるのです。

さらに、彼女が語る死生観にも目をみはるものがあります。
「生きていること自体に意味なんてありはしない」
「人の役に立てることで、生まれてきた意味を作り出すことができる」

彼女が教会の炊き出しに参加しているのも、人の役に立つことで生まれてきた意味を見出しているからなのでしょう。

第8話は、啄木に忍び寄る死の影を暗示するかのように雨が降り続き、画面が全体的に薄暗い明度で統一されていて、その中で啄木の吐血、そして環の傘だけが赤く「生(命)」を象徴しています。環が傘を川へ投げ入れる描写は、傘それ自体に価値などなく、雨を払ってこそ価値があることから、
「生きていること自体に意味なんてありはしない」という環の言葉を視覚的に表現したものでしょう。


【事件の真相?】
以上のことから、環が、子供を売り飛ばすような園部を快く思っているはずがありません。むしろ園部のような人間を罰し、子供達を救おうと考えるはずです。
であればなぜ環自身が園部を告発しないのでしょうか?理由があるとすれば、彼女が「女である」からです。いくら男装をしても女である環が大興業主の園部を告発したところで、世間は耳を貸さない。
そこで、鑑が彼女の代わりに死をもって園部を告発した、と考えられます。鑑が転落したとき環はあまり動揺していませんでした。これは鑑が死ぬことを事前に環が知っていたからでしょう。
しかし、それでも園部は釈放されてしまった。そこで今度は鑑の弟と啄木を利用します。
鑑の弟は、このときのために鑑と環が用意しておいた架空の人物でしょう。弟という架空の人物から園部に脅迫状を送りつけ、何としても園部を鑑殺しで捕らえさせるつもりが、園部は保身のために脅迫状を警察へ届けなかった。困った環はこれを新聞社で働く啄木に見せ、記事にしてもらおうと考えた。
といったところでしょうか?


啄木につきまとう死の影と、達観した死生観を持つ男装の麗人。
彼女が啄木にどんな影響を与えるのか。
今後の展開も目が離せません。